安堵状と遺品 

浅葱麻地小紋染鎧下着   1領

濱田景隆所用
桃山時代 
裄  48,0   丈  96,0

毘沙門天像(厨子入)   1躯

伝濱田景隆護身仏
戦国時代
本体高 5,2(台座とも)、奥行 2,8
厨子縦7,0、  横3,6
外箱(縦22,0横11,0奥行11,0)

伊達晴宗知行宛行判物、 濱田下総守、 天文12年11月29日

伊達稙宗知行宛行判物、 濱田下総守、 天文?14年8月3日

伊達晴宗知行宛行判物  濱田備前守、 天文22年1月17日

塵芥集に連書された名前

伊達晴宗知行宛行判物 濱田四郎右兵衛尉  天文14年9月11日

右上の文は、 伊達十九代左少将兼陸奥守  藤原朝臣綱村(花押)  塵芥集に書銘されたもの。



塵芥集は天文五年(一五三六)四月、陸奥守守護伊達稙宗が、伊達郡桑折西山城において制定公布した
法令集で、数ある戦国家法のなかで最も長大であり、かつ著名である。
また、「伊達氏御成敗式目」ともよばれる。
奥書には稙宗のほかに十二人の老臣が連署しており、稙宗の命令をうけて制定にあたったことが、
奥書の文言によって知られる。
形式、また一部内容においても鎌倉幕府の影響を強く受けているが、基本的には当時の伊達領国の政治的
社会的情況を前提として制定されたものと認められる。
                          
                                          桑折町史より