(宮城県加美郡宮崎町)
濱田伊豆は、源頼朝が奥州征伐のとき、伊達の家臣として共に奉公した武将で、八代伊達宗遠が、長井氏をやぶり、置賜の地(山形県)を二百五十年の間支配、その間、稙宗、晴宗、輝宗、政宗の代に宿老であった記録が残ります。
特に、十五世伊豆景隆は、政宗と多くの戦さに参戦、天正十九年、大崎の戦いで戦死しており、その墓が現地に建てられております。
広大な奥州を駆け抜けた伊達。 譜代の宿老の濱田、
その流れをくむと口碑される一本柳満福寺に建つ学翁景敏の碑を追います。
一世 濱田伊豆景雄 従三位乙麻呂十六代之孫、伊豆国に住す、
性は藤原なり、始めて濱田氏と成る。
奥州征伐時、伊達朝宗君に奉仕す。
十三世 濱田下総景信 備前と号す、 宿老御一族、 屋代惣成敗。
十四世 濱田下総宗景 四郎兵衛、後 備前と号す、
宿老御一族、
稙宗公の時、倉方之掟、塵芥集、に署名す、
十五世 濱田伊豆景隆 宿老御一族、四千石、一本柳城主、
数々の戦いに臨み、秀吉が政宗公に出した
大崎の戦いにて戦死。
摺上原の戦い、人取橋の戦い、中新田の戦い、
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吾 死せば 逆に 埋葬すべし
秀吉の命により、 宮城岩出山へ移封
十六世 濱田伊豆景国 家老御一族、 四千石
政宗公に付いて大阪の戦に出向く。
和田川
浜田伊豆の館があった現在の高畠町は、奥羽山脈を背に最上川へむかってひらいた風光明媚な所でのどかな田園風景が続いております。
まほろばの里といわれ、鳩峰山から見た風景はすばらしいものがあります。
のんびり時間を忘れて散策するには、良い所でしょう。
水よし酒よし、ぼうだらとくきたちのおひたし、おいしい漬物、予算があれば米沢牛も?
記入者 浜田 輝 (東京) 2009,6,15
安久津八幡宮
伊達政宗像
家紋 丸に九曜紋、
屋号 幸内、
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播磨屋さんのHP、 出自や名字と家紋の関係が判ります。
畠山氏家臣、高倉家末裔の方のHP、 さんさしぐれを聞く事が出来ます。
荒城の月と鈴虫の音色を聞きながら、萩の名所を案内されています。
、
仙台藩当主、伊達秦宗氏のHP。
福島商工会議所青年部によるイラスト入りのHPです。
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濱田 伊豆守
安久津八幡をスケッチされる平山画伯
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