これは、山形のYBC−TVが、09、7,25日に放映した
特別番組になります。
コピーですが、ご覧になりたい方に、DVDを差し上げます。

二人の政宗物語

伊達の本拠地であった福島県の桑折と山形県の高畠は、当時
往来のしやすい位置関係にありました。
二井宿古道も、現存しております。

米沢の成島八幡に対し、東の八幡として大切にされました。

伊達が下護した、高畠町安久津にある、八幡神社です。

高畑城

伊達家九代、儀山 政宗が住んだ「高畑城堀跡」

十七代、貞山政宗(独眼流)は中興の祖、儀山政宗の名を用いた。

伊達家九代、儀山政宗の 墓

@ 野出倉にある儀山政宗と奥様の墓

儀山政宗と正室紀氏の墓で、明治の代に、地元民によって 発見された。

夏刈にある 資福寺跡

実際は、広い敷地でしたが、今は林一帯と、他に観音様と池跡が残る。

亡くなられた人達の墓がならぶ
輝宗に殉死した、遠藤基信の墓も、ここにある。

資福寺に残る独眼流の父、伊達十六代、輝宗の墓

梵天丸のやかた跡

A  夏刈の資福寺跡にある儀山の墓

( 町内に2ヶ所の墓が存在します。)

政宗48歳の時、新潟からの帰り道、資福寺跡付近に立ち寄り、詠んだ 望郷の 詩

(註)  この年は夏の陣もあった年で、慶長19年(1614)
望郷の詩として、次の二首もある。
  
  ・ 越方の思い旅寝のふるさとに 露おきまさる草枕かな
  ・ ある時はあるにまかせて疎けれど 無きあとをとう草枕かな




岩出山移封のおり、資福寺は廃寺としたが、梵鐘だけは、生誕を祈願した亀岡文殊へ寄贈された。

東光寺殿儀山圓孝大居士

応永12年(1405)9月14日没   53歳

覚範寺殿性山愛心大居士

天正13年(1585)10月8日没   59歳

ちなみに、独眼流政宗は、 瑞巌寺殿貞山禅利大居士

寛永13年(1636)5月24日没   70歳

資福寺の近くにあったとされる、梵天丸(独眼流)の館跡付近。