一本柳館(浜田館)

一本柳館跡及び屋敷跡復元図

明治四十五年一月一日の資料
 (原図 小林 清市 氏所有)
 昭和三十八年調整
    ( 新藤 豊 氏)
山形県高畠町町史に載る図面

山形県中世城館遺跡調査報告書 第一集より

         一本柳館略測図

一本柳館 (浜田館)   いっぽんやなぎだて、はまだだて、

  所在地          山形県高畠町大字一本柳字館之内
  築城者          不明
  築城時期         戦国期
  参考文献         「高畠町史」 「山形県史資料篇 15上」

  概要

  一本柳館は、和田川沿いの平地にあり、伊達氏の宿老屋代郷惣成敗職 浜田伊豆、大和守の居館
   で、 その本丸A宅には、長屋門、大和守着用の鎧下着等が残っている。
  館をめぐる土塁の内、北側に「土手跡」 Bが一部残存する。
  (破線は土塁跡、明治22年字切図及び45年絵図による)
  この辺りは「北御門」とよばれ、7間×8間程で、北口(樋口)稲荷の石堂が建っている。
  ここは館屋敷の鬼門にあたり浜田氏の氏神だったという。
  明治45年絵図にある「御座敷井戸」 C「御台所井戸」 Dは最近埋められたが、場所は石などで示され
  ている。
  「桝形」と伝える場所 Eが東測にあり、街道口から西へクランク状の形がうかがえる。
  その東方を 「大手」 Fとよんでいる。
  また、本丸跡 A西側一帯の水田 Gは堀跡で、館跡は若干高くなっている。
  館屋敷をめぐる土塁は、北は道祖神川 H、西は川沼堰 Jに沿って構築され、和田川 Kと共にこれら
  の 川堰を館堀として活用していたのであろう。
  屋敷割は桝形から本丸まで整然と配置されていた。(絵図)
  「安久津八幡例祭物取収並支払帳(大永8年1528)」に、「市川在家物取1貫文」「浜田常陸120文
  筑後80文」とあり、これら浜田一族は、一本柳近隣の地頭領主であったが、
  天正19年(1591)岩出山に去り、一部が残った。

北口(樋口)神社

北御門

桝形

大手

的場

(屋号も的場の家)

内乗

一 本 柳 の 風 景

高畠町文化財保護会の看板

景隆守護の濱田一族
            
                濱田宮内少輔、         濱田与四郎(下長井九野本)、
                濱田式部、            濱田彦猿丸(信夫庄上名倉)、
                濱田左馬助、           濱田主計、
                濱田備前、

安久津八幡社「例祭物取並支払帳」

                濱田常陸守、           濱田筑後、
                濱田八郎左ェ門、         濱田伊勢、

安久津六社人(爺婆石近所)

                安久津(濱田)新大夫、

地域別

                一迫之郷       濱田常陸守、  濱田式部、  三郎左ェ門尉、
                小郡山         濱田宮内少輔、濱田与四郎、
                塩森          濱田式部、
                北方之郷       濱田式部、
                糠野目         濱田伊勢、  濱田宮内少輔、  濱田源兵衛、
                文殊寺         濱田宮内少輔、 濱田与四郎、
                今泉郷         濱田備前、  濱田採監、  濱田彦九朗、
                平山(長井市)    濱田主計、  濱田式部、
                萩生郷(飯豊町)   濱田左馬助、  濱田与四郎、
                その他         濱田七朗左衛門、


参考に、

昭和45年6月に、 仙台藩の濱田累の孫、善雄氏が 一本柳を訪れたときの写真。

濱田善雄氏   前列左側より二人目
濱田広介氏   前列左側より三人目(晩年にあたる)
宍戸一郎氏   広介氏の右隣

濱田屋敷跡 と書かれている写真